「あの頃のぼくは」の詩を読む

今回はイルカの「あの頃のぼくは」の歌詞について考えてみようと思います。この曲の作詞作曲を担当したのは伊勢正三さんだそうです。この曲も切ない歌詞に優しい歌声がのっており、とても好きです。

 

あの頃のぼくは若すぎて

君の気まぐれを許せなかった

そんな君のやさしさは

おとなびていました

机の上に編みかけの

セーター残していったまま

朝から続く雨の日に

泣きながら飛び出していった

 

君はもうこの古いアルバムの中の

思い出の女として

小さな灰皿の中で燃えてゆくのです

君の長い髪はとても

素敵だったと言いたかった

 

別れの言葉が夢の中で

こんなにきれいに響いてます

心のほんの片隅で

つぶやいた言葉

たとえば誰かの小説の

ひとつの甘いフレーズとして

ぼくの心の本棚に

しまっておけるものなら

 

君はもう二人でいつも買ってた

合挽のコーヒーの

あのほろ苦い味も忘れたことでしょう

今は一人部屋の中で

コーヒー沸かしているんです

 

君はもう

この古いアルバムの中の

思い出の女として

小さな灰皿の中で燃えてゆくのです

君の長い髪はとても

素敵だったと言いたかった

 

 「ぼく」という言葉を「僕」と漢字で書かずに、ひらがなで書いているのは、当時の男性の幼さを表しているのかもしれません。彼女の気まぐれが一体どのようなものだったかは分かりませんが、きっと今となっては許せることだったのでしょう。だからこそ「あの頃のぼくは」なのです。でも彼女はそんな彼のわがままを許してくれるような素敵な女性だったのでしょ。机の上に編みかけのセーターを残していった。これはきっと女性が男性へプレゼントするために編んでいたのでしょうから、この別れはきっと突然だったのでしょう。それを物語るかのように女性は雨の中部屋から飛び出しています。この雨は心のさみしさと、突然の別れの2つを表現しているのかもしれませんね。

灰皿の中で燃えるタバコは少しずつ火が消えていきます。このことから、2人の恋が終わったことを表現していたのでしょう。また、写真を燃やせば燃えてなくなるように、男性が恋人のことを忘れようとしていることも表現しているのかもしれませんね。

 そして男性は彼女のことを思い出し、彼女のことを褒められなかったことを後悔します。当たり前に過ごしているとそれが普通になり、恋人のことを褒めたり、好きと言わなくなってしまうのかもしれませんね。

 そんな男性にとって、彼女との思い出は全て美しい素敵な思い出なのでしょう。彼女と別れた思い出も、彼女と過ごした大切な思い出なのでしょう。だからこそ、男性にとって別れの言葉は「ひとつの甘いフレーズ」なのです。

 そして、男性は彼女と過ごした部屋の中で、思い出のコーヒーを一人で飲みます。たとえそのコーヒーが自分だけの思い出になったとしても。

かぐや姫の「そんな人ちがい」を聴いて

 今回はかぐや姫かぐや姫さあどのアルバムに収録されている「そんな人ちがい」という曲の歌詞について考えていきたいと思います。それではまず歌詞から見ていきましょう。

 

この街のはずれの店で

髪が伸びた君と

久しぶりなんていって

会ったあの日

 

気まづく出したダバコに

火をつけてくれた君の

薬指光った指輪が

全てを語っていた

 

遠くに見かけた人は

見覚えのあるセーター

今日も又想い出一つ

そんな人ちがい

 

赤い自転車とまる度に

階段をかけおりてった ah あの頃

 

逢いたくて逢いたくて

飛び出した風の街で

肩寄せた二人連れに

追い越されてった

 

Lala lalala...

Lala lalala...

 

 街のはずれにあるお店ということですから、その店があるのは、人通りもそこまで多くない場所で、隠れ家的なところだったのかもしれませんね。そこで「久しぶり」といってあったと言ってるんですから、付き合っていたときによく2人で訪れていた場所なのでしょう。男性はその時に気まずくタバコを出しています。ですからきっと彼女はきタバコは好きではなく、付き合っているときには「タバコを吸うのはやめて」と言われていたのかもしれません。しかし彼女はそんな彼のタバコに火をつけてくれました。その慣れた手つき、左薬指にある指輪を見て彼は気づいたのでしょう。彼女はタバコをよく吸う人と結婚したことに。そしてたぼこ嫌いは別れるための口実だったことに。

 そしてこの男性はきっと女性のことが好きなのでしょう。だからこそ、彼女が着ていた服を着ている女性を見かけるとその女性に目が行き、彼女との思い出がよみがえってくるのでしょう。

 彼女と付き合ってた頃、男性は自分の家の前に郵便屋さんの自転車がとまる度に急いで階段を駆け降りたことを思い出しています。この曲がリリースされたのは1973年だそうですから、もちろん今のように携帯電話もありません。一人暮らしの人の中には固定電話がなかった人もいたそうです。だからこそ、恋人からの手紙が届くのを楽しみに過ごし、郵便屋さんを見かけるとうれしくなっていたのでしょう。

 この場面も彼が家の窓から外を見ていると、彼女の着ていたものと同じ女性を見つけたり、郵便屋さんが家の前を通ったのかもしれませんね。

そして彼女が懐かしくなり家を出て街を歩いていると、あの頃の2人のように肩を組んだ仲の良い男女が彼を追い越していたのでしょう。

風の海岸通を聴いて

 今回は風のファーストアルバム「風ファーストアルバム」に収録され、その後イルカがカバーしたことでも有名な「海岸通」の歌詞について見ていきたい。 

 

あなたが船を選んだのは

私への思いやりだったのでしょうか

別れのテープは切れるものだとなぜ

気づかなかったのでしょうか

港に沈む夕陽がとてもきれいですね

あなたをのせた船が小さくなってゆく

 

夜明けの海が悲しいことを

あなたから教えられた海岸通

あなたの言うとうり妹のままで

いたほうがよかったかもしれない

あなたがいつかこの街離れてしまうことを

やさしい腕の中で聞きたくはなかった

 

まるで昨日と同じ海に波を残して

あなたをのせた船が小さくなってゆく

 

 どこか遠くの場所へ旅立つとき、電車や新幹線での別れは乗った瞬間に出発し、一瞬で見えなくなってしまいますよね。つまり「なごり雪」のような別れということですね。しかし、ここで登場する男性は恋人と別れ、旅立つときの乗り物に船を選択しています。船は乗ってもすぐに出発するわけではなく、出発までに時間があります。そして多くの人が見送りに来ています。一人を送るのではなく、多くに人を送るように船は港を離れていきます。そして、船はすぐに見えなくなるのではなく、だんだん小さくなっていき、そして見えなくなります。この当時ですから、今みたいに携帯電話やインターネットがあるわけではないですから、遠くに行ってしまえば会うことがなかなかできません。その人が船の甲板に出ていたら、最後の瞬間そのギリギリまで姿を見ていることができます。より長い時間会っている。それが彼の女性に対する「やさしさ」だったのです。

 船が出るとき港でテープが切られるように、二人をつないでいたテープも切れ、彼が遠くに離れて行ってしまったのですね。

 「港に沈む夕陽がとてもきれいですね」。きっと夕陽に照らされながら船が港から出発していったのでしょう。

 彼が去ってから一夜が明け、港には朝日が昇り始めます。そして彼女は改めて一人になったことを実感します。伊勢正三さんの故郷の大分県津久見市にも海岸通があるそうですから、モデルはきっとそこでしょう。これまでは二人で歩いていた海岸通りを女性は今一人で歩いているんでしょう

 そして彼女は男性に告白した時に「これまで通りでいて欲しい」と言われたことを思い出しています。妹のままでということは、二人は近所に住むお兄ちゃんと妹のような仲のいい二人だったのかもしれません。そして腕の中ということですから、きっとこの海岸通で彼女は男性に抱きしめられたのでしょう。胸ではなく、腕と表現していることから、しっかりと抱き合っておらず、2人の間に距離ができているように感じます。そして女性は男性に抱かれながら、この街から引っ越すことを伝えられたのでしょう。

 舞台は男性のの出発の日に戻ります。海。つまりこの街の景色。そして船が港から出ていくこと。これは普段と何も変わらないこの街の日常。しかし、普段と違うことが一つだけ。それは男性がこの街からいなくなったこと。それによって女性が一人になってしまったこと。小さくなってゆく。この表現から、彼との物理的な距離と心の距離の2つが遠くなってしまったことを表しているのかもしれませんね。

あの唄はもう唄わないのですかの物語性のある歌詞に感動して…

 今回は私が風の楽曲の中で一番好きな曲である「あの唄はもう唄わないのですか」の曲の歌詞について考察していきたいと思います。この曲は1975年にリリースされた風のセカンドアルバムに収録されている楽曲で、その後風のセカンドアルバム『時は流れて…』に収録された楽曲です。しかし、伊勢正三さん曰く、この曲はアルバムに入れる予定はなかったそうですが、シングルとは別アレンジにして、収録したそうです。それではまず、「あの唄はもう唄わないのですか」の歌詞を全文見てみましょう。

 

今朝新聞の片隅に

ポツンと小さく出ていました

あなたのリサイタルの記事です

もう一年経ったのですね

 

去年もひとりで 誰にも知れずに

一番うしろで見てました

あの唄 もう一度聞きたくて

私のために作ってくれたと

今も信じてる あの唄を……

 

あなたと初めて出会ったのは

坂の途中の小さな店

あなたはいつも唄っていた

安いギターをいたわるように

 

いつかあなたのポケットにあった

あの店のマッチ箱ひとつ

今でも 時々とりだして

ひとつ つけてはすぐに消します 

あなたの香りがしないうちに

 

雨が降る日は 近くの駅まで

ひとつの傘の中 帰り道

そして二人で口ずさんだ

あの唄はもう唄わないのですか

私にとっては 思い出なのに

 

 この曲はミュージシャンの男性と付き合っていた女性の曲ですね。このミュージシャンのリサイタルの記事が新聞の片隅に小さく載っているのですから、ものすごく人気があるわけではないのかもしれませんが、新聞記事になるくらいには有名だったのでしょう。

 そしてこの新聞記事を見る一年前には、誰にも気づかれないように、つまり男性に気づかれないように一番後ろで見ていたと言っているのですから、この時にはすでにこの女性はミュージシャンの男性とは別れていたのでしょう。そして、この女性はこの時男性に会いたくてリサイタルに行ったのではなく、男性が自分のために作ってくれたと信じている曲を聴くために訪れてますね。つまり自分の思い出に会いに行ったのかもしれませんね。

  そして女性は「私のために作ってくれたと今も信じてるあの唄を」と言っているくらいなのですから、もしかするとこの曲は男性が女性に告白するときに唄った曲。あるいは、男性がこの女性と付き合い始めた後に作った、2人の思い出の曲なのかもしれませんね。私のためにと言っているくらいなのですから、男性が女性と出会ってから作った曲であるのは間違いありませんね。

 そしてこの女性が男性と初めてあったのは、坂の途中にある小さな店。この店は地域の人が通う隠れ家や的存在だったのかもしれませんね。男性のポケットにある日、この店のマッチ箱があったそうですから、この場所はスナックだったのかもしれませんね。マッチ箱がもらえる店は喫茶店、BAR、スナックなどが挙げられますが、その中で音楽の演奏などが行われるのは、スナックですね。喫茶店でもあるそうですが、やはり珍しいことだそうです。彼はいつも唄っていたそうですから、やはりスナックである可能性が高いと思います。

 そして、現在彼女は懐かしく思いこの店のマッチ箱の中のマッチに火をつけるんですね。マッチに火をつけても、彼の香りがしないうちに消してしまうんです。これはあの店に通い続けていた彼の香りと、マッチをつけることで蘇ってくる彼との思い出の2つをかけているのかもしえません。もしかしたらたばこの火もこのマッチでつけたりした、二人の思い出の品なのかもしれませんね。

 雨が降る日はこの店から近くの駅までひとつの傘で相合傘をしながら歩いたのですね。そしてその道で、私のために作ってくれたと信じているあの唄を唄ったのですね。そんな女性にとっては思い出の唄なのに男性は去年のリサイタルでは唄わなかったんですね。もしかしたら今年も唄わなかったのかもしれません。

 最後にマッチ(火)と雨(水)を出しているのは、前に進もうとする女性の希望の心と、彼のことをまだ忘れずにいる女性の悲しい心の2つを表しているのかもしれませんね。

22才の別れを聴いて

 今回は伊勢正三さんの代表作であり、かぐや姫の三階建の詩に収録されている「22才の別れ」の歌詞の意味について考えていきたいと思います。

あなたに さようならって

言えるのは 今日だけ

明日になって またあなたの

暖かい手に 触れたら きっと

言えなくなってしまう

そんな気がして

私には 鏡に映った

あなたの姿を見つけられずに

私の目の前にあった

幸せに すがりついてしまった

 

私の誕生日に

22本のろうそくをたて

ひとつひとつが みんな君の

人生だねって言って 17本目からは

いっしょに火をつけたのが

昨日のことのように

今はただ 5年の月日が

永すぎた春と いえるだけです

あなたの知らないところへ

嫁いで行く 私にとって

 

ひとつだけ こんな私の

わがまま 聞いてくれるなら

あなたは あなたのままで

変わらずにいて下さい

そのままで……

 

あなたに さよならって 言えるのは 今日だけ

明日になって 暖かい手に 触れたらきっと

言えなくなってしまう そんな気がして

 あなたに「さよなら」と言えるのは。つまり、ここに登場する女性は、恋人である男性と別れることを決意しているということですね。しかし、女性はそのことを打ち明けることができずにいます。

「あなたの暖かい手に触れたらきっと言えなくなってしまうそんな気がして」。これはきっと女性の経験談で、別れ話を切り出そうとしても、恋人に話かけられたり、触れられると、その言葉が詰まって出てこなかったのでしょう。つまりこの女性は別れを切り出そうとしている反面、まだ男性のことが好きで未練があるということですね。

 

私には 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに

私の目の前にあった 幸せにすがりついていました

  鏡は生活の中で女性が化粧をするために、毎日必ず使うものですね。その生活必需品ともいえる鏡に姿を見つけれなかった。鏡には女性の姿だけで、恋人の姿は移っていないということですね。つまり、女性は今の恋人と暮らし続ける、結婚することはできないと考えているのではないでしょうか。

 そして私の目の前にあった幸せにすがりついてたということは、この女性には恋人以外に男がいて、その人のところへ嫁いで行こうとしているんですね。この当時ですから親が決めた結婚相手か、自分で作った男性かはわかりませんが、この時点で女性は2股をかけていたことになります。

 

私の誕生日に 22本のロウソクをたて

ひとつひとつがみんな君の人生だねって言って

17本目からはいっっしょに火をつけたのが 昨日のことのように

 ここでは女性の誕生日に、誕生日ケーキに22本のロウソクをたてて、恋人と2人で誕生日を祝っています。つまり女性の誕生日の時にはまだ、女性は恋人と別れることは考えてはいなかったはずです。

 そして、男性がロウソクの「ひとつひとつがみんな君の人生だね」といっていうことは、もしかしたら、火をつけながら「7歳、小学校に入学」といったように、その年齢の時に思い出を話しながら、ロウソクに火をつけていたのもしれないですね。この時の2人はきっと、過去のことを思いだしながら、これからのことを考えていたのでしょう。

 

今はただ5年の月日が 永すぎた春と言えるだけです

あなたの知らないところへ 嫁いで行く私にとって

 ここで女性はついに17歳の頃から5年間付き合った恋人と別れたんですね。17歳から22歳というと、高校から大学にかけての年齢なので、この2人は学生だったのかもしれないですね。人生の中でわずかな時間である学生時代の中の5年という月日を、一人の男性と付き合った女性にとって、永遠ともいえる時間だったのでしょう。そんな男性の元を離れて、男性が知らない男の元に嫁いで行くんですね。長い時間を過ごしたからこ別れたくないという未練もあったのもしれにですね。

 

ひとつだけこんな私の わがまま聞いてくれるなら

あなたは あなたのままで 変わらずにいて 下さいそのままで

 そして自分のわがままで別れた恋人に対してこの女性は、1つだけわがままを言うんですね。それは変わらずにいて欲しいということ。つまり、私が好きだったあなたのままでいて欲しいということですね。それならば女性はまだ別れた恋人に未練があるようにも感じます。この男性に決断力があり、「結婚しよう」とはっきりと言えることができたのなら、このような結末にならなかったかもしれないですね。

村下孝蔵の「春雨」を聴いて

今回は私が「春雨」を聴いて感じたことを述べていきたい。まずは春雨の詞の意味について考えていきたいと思う。

心を編んだセーター 渡すこともできず

一人 部屋で 解く糸に思い出を辿りながら

あの人が好きだった 悲しい恋の歌

いつも 一人 聞いた 古いレコードに傷をつけた

 

くり返す声が 今も谺のように

心の中で 廻り続ける

電話の度に サヨナラ 言ったのに

どうして最後は黙っていたの 悲しすぎるわ

 

あの人を変えた都会 すべて憎みたいわ

灯り消して 壁にもたれ 木枯らしは愛を枯らす

せめて もう少しだけ 知らずにいたかった

春の雨に 頬を濡らし 涙を隠したいから

 

 

 

遠く離れたことが いけなかったの

それとも 夢が 私を捨てたの

もう誰も 私 見ないでほしい

二度と会わないわ いつかこの街に帰って来ても

電話の度に サヨナラ 言ったのに

どうして最後は黙っていたの 悲しすぎるわ

 

心を込めて編んだセーターを、あなたに渡すことができなかった。一人だけの部屋でセーターの糸をあなたとの思い出を思い出しながら少しずつ解いている。私は今、好きだった人が好きだった失恋ソングの登場人物のような状況に置かれている。だからこそ彼が好きだったレコードに傷をつけた。その傷をつけたレコードが同じ音を繰り返し奏でているように、あなたの声が頭の中で繰り返し聞こえている。電話で話すときはいつも最後に「サヨナラ」といったのに何で最後は手紙で別れの言葉を伝えたの。あなたの声を聞いて別れたかった。

 

好きだった人を変えてしまった都会のすべて憎みたい。私は夜、部屋の明かりを消して、壁にもたれかかるように床に座っている。木枯らしが植物を枯らすように、私たちの愛も枯らしていった(木枯らしが降る頃私たちは別れた)。せめてあと少しの時間でいいから、あなたとの愛が終わったことを知らずにいたかった。私は春雨にうたれ頬を濡らしている。止まることのない涙を隠したいから。遠く離れ会わなかったことが、二人の心の距離を大きくしてしまったのか。それとも私が応援した彼の夢が私たちの愛を終わらせたのか。悲しくて泣いているきれいじゃない今の私を見ないでほしい。あなたとはもう2度と合わないわ。たとえあなたが都会からこの街に帰ってきたとしても。

電話で話すときはいつも最後に「サヨナラ」といったのに何で最後は手紙で別れの言葉を伝えたの。あなたの声を聞いて別れたかった。

 

 そしてこの歌を甘い歌声で歌っているので、歌詞がスッと頭の中に入ってくる。そして何より情景が頭の中で浮かぶのだ。そしてなによりサビの「電話の度に サヨナラ 言ったのに」の部分を高音で苦しそうに歌うのだ。これが失恋の苦しさをさらに強く表現しているように感じる。歌詞は人によって感じ方は違うと思う。村下孝蔵の曲は詞の意味を考えながら聴くことは、その曲をより一層深く聞くことにつながるのではないのだろうか。私はこの曲は初恋以上の名曲だと思う。

是非皆さんも一度聞いてみて欲しい

今の学生はかぐや姫を知らない

 大学の講義で、好きな歌手を紹介するというものがあった。そこで私は、小学生の頃から好きだったかぐや姫について紹介した。すると、その講義を受けていた学生全員がかぐや姫を初めて知ったと答えたのだ。そんなこと本当にあるのかと思った私は、バイト先の同期や後輩に「かぐや姫って歌手知っている」と聞いてみた。そこでも全員がかぐや姫を知らないと答えたのだ。当時の私はかぐや姫は誰でも知っている歌手だと思っていたので大変驚いた。私が小学生高学年の頃はAKB48が世間で一大ブームを巻き起こしていた頃だ。その中でかぐや姫を好きになり毎日かぐや姫の曲を聞いていたので、私は今時の普通の若者とは少しずれていると自覚はしている。しかし今の学生の話を聞いていると神田川という曲を知っている人はおらず、イルカがカバーしたことでも有名な「なごり雪」ですら、ほとんどの人が知らないと答えたことは衝撃だった。

 

 

 そもそもかぐや姫には南こうせつが森進一郎、大島三平の2人と結成した、第一期かぐや姫とも呼ばれる「南高節とかぐや姫」。南こうせつかぐや姫は1年間の活動ののち解散した。そして1971年に南こうせつ伊勢正三山田パンダの2人と第二期かぐや姫とも呼ばれる南こうせつかぐや姫を結成した。第一期かぐや姫にも「酔いどれかぐや姫」「マキシ―のために」といった名曲がある。だが私がここで述べるのは、「神田川」「妹」「赤ちょうちん」など様々なヒット作を世に生み出した南こうせつかぐや姫のことである。

 当時私は当然ながら生まれていないのでかぐや姫ががいつ世間に注目され始めたのかは私には分からない。だがおそらく初めてオリコンチャートで初めて100位以内に入った「僕の胸でおやすみ」をリリースした頃だろう。この曲も私が小学生の頃よく耳にしていた曲だが、今の子は知らないということに驚きだ。どこで聞いていたのかは覚えていないが、両親が家でかぐや姫のCDやレコードを聞いていた記憶はないので、テレビか何かで聞いたのだろう。

 

 

 かぐや姫の数あるヒット作の中で特に彼らを有名にしたのは、間違いなく1973年にリリースされた「神田川」だろう。この曲は作詞家の喜多條忠さんによって作詞され、その詞に南こうせつが曲を付けた。この曲の影響によってかぐや姫は世間的には「暗いグループ」「四畳半ソング」と呼ばれることが多かったらしい。本人たちは自分たちのことを「コミックバンド」と呼んだりしている。「おはようおやすみ日曜日」「僕は何をやってもだめな男です」「好きだった人」などはそれを象徴している曲かもしれない。またかぐや姫ファンの人の中には「かぐや姫の特徴は伊勢正三の切ない歌詞に南こうせつが明るい歌詞をつけているところ」と語っている人もいる。これも確かに「おもかげ色の空」「あの人の手紙」などの曲を聞けば納得できるだろう。

 また「神田川」は、「赤ちょうちん」「妹」と合わせて四畳半3部作とも呼ばれている。「赤ちょうちん」「妹」ともに作詞喜多條忠、作曲南こうせつである。特に赤ちょうちん志村けんさんが「キャベツばかりをかじてた」と流れるたびにキャベツを食べるというネタをしていたくらい有名な曲だ。このネタは自分が小学高学年の頃はまだ「志村けんのだいじょうぶだぁ」で放送されていた記憶がある。「妹」に関してはB面に収録されている「夏この頃」という曲はとてもいい曲なのだがここでは詳しく語ることはやめよう。

 

 

 そしてかぐや姫を話すうえで欠かせないのが「神田川」のシングルリリース後に発売された「三階建の詩」というアルバムだろう。この曲は「神田川」の発売後のアルバムということで売れることを確信した南こうせつがメンバーそれぞれが曲を持ち寄って制作することを提案したアルバムと言われています。そしてこのアルバムで今の学生が知っているかは分からないが、伊勢正三を代表する曲といってもよい「22才の別れ」「なごり雪」が誕生した。

 

 

 今の若い世代は、詞よりも曲を重視していると言われている。私は詞を重視して歌を聴いているので、本当に曲のほうが重視されているのかは分からない。しかし、この記事の中で述べたように、第二期かぐや姫の初期のほうの曲は伊勢正三の悲しい歌詞、物語性のある歌詞に、南こうせつが明るい歌詞をつけていることが多い。かぐや姫は詞、曲どちらを重視している人でもよいと感じることのできる歌手ではないだろうか。つまりかぐや姫は今の学生にこそ聞いてほしい歌手であると私は考える。