村下孝蔵の「春雨」を聴いて

今回は私が「春雨」を聴いて感じたことを述べていきたい。まずは春雨の詞の意味について考えていきたいと思う。

心を編んだセーター 渡すこともできず

一人 部屋で 解く糸に思い出を辿りながら

あの人が好きだった 悲しい恋の歌

いつも 一人 聞いた 古いレコードに傷をつけた

 

くり返す声が 今も谺のように

心の中で 廻り続ける

電話の度に サヨナラ 言ったのに

どうして最後は黙っていたの 悲しすぎるわ

 

あの人を変えた都会 すべて憎みたいわ

灯り消して 壁にもたれ 木枯らしは愛を枯らす

せめて もう少しだけ 知らずにいたかった

春の雨に 頬を濡らし 涙を隠したいから

 

 

 

遠く離れたことが いけなかったの

それとも 夢が 私を捨てたの

もう誰も 私 見ないでほしい

二度と会わないわ いつかこの街に帰って来ても

電話の度に サヨナラ 言ったのに

どうして最後は黙っていたの 悲しすぎるわ

 

心を込めて編んだセーターを、あなたに渡すことができなかった。一人だけの部屋でセーターの糸をあなたとの思い出を思い出しながら少しずつ解いている。私は今、好きだった人が好きだった失恋ソングの登場人物のような状況に置かれている。だからこそ彼が好きだったレコードに傷をつけた。その傷をつけたレコードが同じ音を繰り返し奏でているように、あなたの声が頭の中で繰り返し聞こえている。電話で話すときはいつも最後に「サヨナラ」といったのに何で最後は手紙で別れの言葉を伝えたの。あなたの声を聞いて別れたかった。

 

好きだった人を変えてしまった都会のすべて憎みたい。私は夜、部屋の明かりを消して、壁にもたれかかるように床に座っている。木枯らしが植物を枯らすように、私たちの愛も枯らしていった(木枯らしが降る頃私たちは別れた)。せめてあと少しの時間でいいから、あなたとの愛が終わったことを知らずにいたかった。私は春雨にうたれ頬を濡らしている。止まることのない涙を隠したいから。遠く離れ会わなかったことが、二人の心の距離を大きくしてしまったのか。それとも私が応援した彼の夢が私たちの愛を終わらせたのか。悲しくて泣いているきれいじゃない今の私を見ないでほしい。あなたとはもう2度と合わないわ。たとえあなたが都会からこの街に帰ってきたとしても。

電話で話すときはいつも最後に「サヨナラ」といったのに何で最後は手紙で別れの言葉を伝えたの。あなたの声を聞いて別れたかった。

 

 そしてこの歌を甘い歌声で歌っているので、歌詞がスッと頭の中に入ってくる。そして何より情景が頭の中で浮かぶのだ。そしてなによりサビの「電話の度に サヨナラ 言ったのに」の部分を高音で苦しそうに歌うのだ。これが失恋の苦しさをさらに強く表現しているように感じる。歌詞は人によって感じ方は違うと思う。村下孝蔵の曲は詞の意味を考えながら聴くことは、その曲をより一層深く聞くことにつながるのではないのだろうか。私はこの曲は初恋以上の名曲だと思う。

是非皆さんも一度聞いてみて欲しい