今の学生はかぐや姫を知らない

 大学の講義で、好きな歌手を紹介するというものがあった。そこで私は、小学生の頃から好きだったかぐや姫について紹介した。すると、その講義を受けていた学生全員がかぐや姫を初めて知ったと答えたのだ。そんなこと本当にあるのかと思った私は、バイト先の同期や後輩に「かぐや姫って歌手知っている」と聞いてみた。そこでも全員がかぐや姫を知らないと答えたのだ。当時の私はかぐや姫は誰でも知っている歌手だと思っていたので大変驚いた。私が小学生高学年の頃はAKB48が世間で一大ブームを巻き起こしていた頃だ。その中でかぐや姫を好きになり毎日かぐや姫の曲を聞いていたので、私は今時の普通の若者とは少しずれていると自覚はしている。しかし今の学生の話を聞いていると神田川という曲を知っている人はおらず、イルカがカバーしたことでも有名な「なごり雪」ですら、ほとんどの人が知らないと答えたことは衝撃だった。

 

 

 そもそもかぐや姫には南こうせつが森進一郎、大島三平の2人と結成した、第一期かぐや姫とも呼ばれる「南高節とかぐや姫」。南こうせつかぐや姫は1年間の活動ののち解散した。そして1971年に南こうせつ伊勢正三山田パンダの2人と第二期かぐや姫とも呼ばれる南こうせつかぐや姫を結成した。第一期かぐや姫にも「酔いどれかぐや姫」「マキシ―のために」といった名曲がある。だが私がここで述べるのは、「神田川」「妹」「赤ちょうちん」など様々なヒット作を世に生み出した南こうせつかぐや姫のことである。

 当時私は当然ながら生まれていないのでかぐや姫ががいつ世間に注目され始めたのかは私には分からない。だがおそらく初めてオリコンチャートで初めて100位以内に入った「僕の胸でおやすみ」をリリースした頃だろう。この曲も私が小学生の頃よく耳にしていた曲だが、今の子は知らないということに驚きだ。どこで聞いていたのかは覚えていないが、両親が家でかぐや姫のCDやレコードを聞いていた記憶はないので、テレビか何かで聞いたのだろう。

 

 

 かぐや姫の数あるヒット作の中で特に彼らを有名にしたのは、間違いなく1973年にリリースされた「神田川」だろう。この曲は作詞家の喜多條忠さんによって作詞され、その詞に南こうせつが曲を付けた。この曲の影響によってかぐや姫は世間的には「暗いグループ」「四畳半ソング」と呼ばれることが多かったらしい。本人たちは自分たちのことを「コミックバンド」と呼んだりしている。「おはようおやすみ日曜日」「僕は何をやってもだめな男です」「好きだった人」などはそれを象徴している曲かもしれない。またかぐや姫ファンの人の中には「かぐや姫の特徴は伊勢正三の切ない歌詞に南こうせつが明るい歌詞をつけているところ」と語っている人もいる。これも確かに「おもかげ色の空」「あの人の手紙」などの曲を聞けば納得できるだろう。

 また「神田川」は、「赤ちょうちん」「妹」と合わせて四畳半3部作とも呼ばれている。「赤ちょうちん」「妹」ともに作詞喜多條忠、作曲南こうせつである。特に赤ちょうちん志村けんさんが「キャベツばかりをかじてた」と流れるたびにキャベツを食べるというネタをしていたくらい有名な曲だ。このネタは自分が小学高学年の頃はまだ「志村けんのだいじょうぶだぁ」で放送されていた記憶がある。「妹」に関してはB面に収録されている「夏この頃」という曲はとてもいい曲なのだがここでは詳しく語ることはやめよう。

 

 

 そしてかぐや姫を話すうえで欠かせないのが「神田川」のシングルリリース後に発売された「三階建の詩」というアルバムだろう。この曲は「神田川」の発売後のアルバムということで売れることを確信した南こうせつがメンバーそれぞれが曲を持ち寄って制作することを提案したアルバムと言われています。そしてこのアルバムで今の学生が知っているかは分からないが、伊勢正三を代表する曲といってもよい「22才の別れ」「なごり雪」が誕生した。

 

 

 今の若い世代は、詞よりも曲を重視していると言われている。私は詞を重視して歌を聴いているので、本当に曲のほうが重視されているのかは分からない。しかし、この記事の中で述べたように、第二期かぐや姫の初期のほうの曲は伊勢正三の悲しい歌詞、物語性のある歌詞に、南こうせつが明るい歌詞をつけていることが多い。かぐや姫は詞、曲どちらを重視している人でもよいと感じることのできる歌手ではないだろうか。つまりかぐや姫は今の学生にこそ聞いてほしい歌手であると私は考える。